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祇園祭(ぎおんまつり)は、1968年11月23日に公開された日本の映画。日本映画復興協会制作、松竹配給。原作は西口克己の小説である。著作権は京都府が保有し、原則的に1回50,000円の上映料金で貸与している〔学芸課 映像・情報室 特定非営利活動法人映画保存協会、2015-06-01(〕。祇園祭の時期には京都府京都文化博物館で数回上映される。 == 概要 == 当初は1961年、映画監督の伊藤大輔が中村錦之助主演を前提に東映に企画を提出したが、製作費が莫大になることがネックとなり、お蔵入りとなった。その後、映画界の斜陽や東映の任侠路線への転換などの影響から、1966年に錦之助は東映との専属契約を解消、最終的には京都府政百年記念事業として京都府の協力と京都市市民のカンパを得て、「日本映画復興協会(代表は中村錦之助)」の名の下、1967年、製作が開始された。しかしこの間、構想・企画段階からのスタッフの降板〔製作当初から原作者、プロデューサー、脚本家、監督ら相互のコミュニケーションが滞り、企画当初から尽力した竹中労、八尋不二、加藤泰らが降板している。〕、監督の交代、錦之助自身の離婚や東映との労働争議、政治的妨害、関連団体からの圧迫、さらには経済的な曲折と、艱難辛苦の末、完成まで実に7年を経た労作である。そうした一方で映画会社主導ではなく、最終的な製作を日本映画復興協会が行ったため、映画会社の枠にとらわれず、東映、東宝、松竹のトップ俳優に加え、フリーの大物俳優が集結した豪華な配役となった。また、群衆シーンのエキストラとして、京都市民も数多く参加している。 松竹の配給で、封切りは1968年11月23日。通常の邦画系映画館ではなく洋画系映画館にてロードショー公開され、大ヒットを記録した。この成功は、日本の観客が時代劇に関して興味を持ち続けていることを証明し、また、映画会社大手5社の独占を止めたという点で、日本映画産業の将来に大きな影響を与えた〔。 作品の上映権は京都市が所持しており、その他権利関係が複雑に絡んでいるためソフト化の機会は得られておらず、祇園祭のシーズンに京都文化博物館・映像ギャラリーで行われる上映会が唯一の一般公開である〔。 尚、2007年9月14日には、退色の進んでいたフィルムを、監督の山内や美術監督・井川の色彩、画調監修の下、大阪芸術大学教授・太田米男、株式会社IMAGICAウェストが復元作業を進め、原版からニュープリントが作成された事が発表され、同年10月、11月には記念上映会が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祇園祭 (1968年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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